野蒜築港跡(宮城県東松島市野蒜)
野蒜(のびる)築港跡に行ってきたんだ。
ここは、宮城県の観光名所で有名な松島と北上川の下流にある港町石巻市の間にある東松島市。
野蒜港は1874(明治7)年に日本発の近代築港としてこの場所に港建設計画が持ち上がってから、1884(明治17)年11月廃港が決まるまでのほんのわずかな時間だけさかえた港なんだ。
野蒜港の工事にあったては「大久保利通」「伊藤博文」「大隈重信」などお札で有名な政治家や明治天皇もこの地を視察に訪れているんだ。
築港にあたり当時の日本土木技術では経験がないためオランダの技師ファン・ドールンが招かれ設計や工事の指導にあたっている。
なぜここに日本発の近代港を作ろうと言う計画が持ち上がったのかは、東北地方の開発のため外国の大型船の停泊地と野蒜を中心にした岩手県、山形県、福島県の経済圏をまとめるという計画だったんだ。
そんな壮大な計画も第一次計画中だった1884(明治17)年9月の台風で東突堤が崩壊し内港が土砂で埋まり港の機能は使えなくなりそのまま明治政府は廃港を決定したんだ。
港が開港した当時、この場所には銀行、商店、米取引所、東北発の気象測候所などが軒を連ねた人工都市があり繁栄していたんだそう。今その面影はなく、当時の中央公園跡地にたたずむ記念碑とその近くにある測候所跡の碑があるだけなんだ。
当時は、どれだけの人がここに生活していたんだろうか?
廃港にならずに現代まで野蒜港が栄えていたらきっと宮城県も今とはちがった姿をしているかもしれないね。ここが宮城県内第二の都市になっていたかもしれない。それに、北上川を使った交通網で宮城県北と岩手県とも重要な交通の要となっていたはずだ。
また、日本からアメリカへの外国航路の出発地としても有名になった可能性もあるね。
そんな壮大な夢も、10年と言う一瞬の時間でで砂のように崩れてしまったんだ。
今は、訪れる人もいない静かな河口になってしまった。
旧市街地は原っぱとなっていて今は防衛施設庁の国有地となっているんだ。
そんな往時をしのび幻と消えた港を訪れてみると現代とは違った宮城県が見えてくるね。
[gmaps:38.3811281443648/141.17459535598755/13/460/300](comment)[/gmaps]
