仙台東照宮は1649年(慶安2年)5月28日、仙台藩2代目伊達忠宗が3代将軍徳川家光に東照宮の建築を願い出て8月17日に着工式を行ったそう。その5年後の1654年(承応 じょうおう)3年に完成し、3月16日と17日に完成の儀が行われたんだって。

この東照宮の場所は、初代藩主伊達政宗と徳川家康が葛西の大崎一揆の視察の帰り道に野営した場所だそうで、もともとは天神社があった場所。その天神社は現在、榴岡(仙台市宮城野区榴ヶ岡)に移され、今は榴岡天満宮となっているんだ。

東照宮は徳川家康を祭っていて伊達家の守護神として崇めているそう。完成の翌年の1655年(明暦元年)に毎年9月17日を祭典の日と決め江戸時代末期まで、神輿や山鉾がでる仙台祭りとして城下一番のお祭りだったそうだ。今、そのお祭りはないんだ。

本殿や唐門(からもん)、鳥居などは国の重要文化財に指定されているんだ。昭和10年8月6日に火事で幣拝殿(へいはいでん)が消失したんだけど昭和39年11月17日に復元されて、その後も昭和53年55年と唐門と透塀、本殿が創建当時に復元されたんだ。

CIMG2570_1.JPGCIMG2572_1.JPG重要文化財の鳥居は、昭和53年の宮城県沖地震で大きく傾いたので一度調査解体し復元されているんだ。その鳥居をくぐると参道の石段がある。その両脇に建っている石灯籠も国の重要文化財だ。

CIMG2575_1.JPG上りきったところにあるのが随身門(ずいしんもん)だ。左右には弓をもった随身像が安置されていて、寺院では仁王門にあたるね。この門も大きく立派で、軒下の肘木(ひじき)という屋根をささえる部分の組み木の細工が精巧で見ごたえがあるんだ。

CIMG2580_1_1.JPG随身門を過ぎ急な石段を進むといよいよ幣拝殿となる。その奥が、本殿だ。本殿の前は緊迫を貼った唐門、周囲を透塀が囲んでいる。

現在の東照宮の周辺は住宅地となっているけど、昭和30年代まではこの辺一体はのどかな放牧地だったそうだよ。また、東照宮から西の北山へ至るまで仙台城下を守る森が続いていて、その名残が県道の台原付近に見ることができるんだ。
復刻版の古い地図を見ると射撃場もこの辺にあったようだね。

また、東照宮前にJR仙山線の踏切があるけど、昔はさらに仙台鉄道も並走していて、仙台鉄道は東に進んで現在の東照宮駅の下をくぐって東照宮の裏手の山を登って泉区の方(台原森林公園)へ抜けていったんだ。
仙台鉄道の跡は、東照宮駅の下(東照宮駅が高架として仙台鉄道をまたいでいる)に見ることができる。
ちなみに東照宮駅は仙山線開業時には無くて、地元仙台の代議士三塚博が運輸大臣になったとき作ったもの(1988年(昭和63年)11月18日 – 開業)だから、ごく最近だね。

そう考えると、東照宮周辺もものすごく変わったんだね。昔は門前の宮町の賑わい以外は畑や田んぼばかりだったんだ。今は住宅街で、目の前にはマンションが建っている。
東照宮の石段を登って振り返ると、宮町の通りがまっすぐ南に伸びているのがわかるよ。昔は参道やお祭りで往来があっただろうね。
さらにその先は、今ではJR東北線の仙台駅にぶつかってその道は途切れてしまっているけど、地図で確認すると大年寺があった大年寺山まで続くんだ。また、大年寺からも北へ国分町と木町通を過ぎて青葉神社までまっすぐ伸びる道があるんだ。
丁度、大年寺、青葉神社、東照宮と三角形で結ぶことができる。

仙台藩主の伊達政宗が仙台に城下を築く際に、実は風水で仙台城と大年寺山、そして東照宮を結ぶ三角形を作り城下を治めたという人もいるけど、東照宮は2代藩主が建てたので、その説は間違っているね。
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